これはK96さんのwebマンガ+イラストサイト「870R」 http://k96.jp/ (サイトは18歳以上推奨)「HANA-MARU」からの二次創作です。(HNじゃいこ) 歩く猫のブログ http://betuneko.blog.shinobi.jp/Entry/134/ でもご覧いただけます。 おとなむけ。おこさまは よまないでくださいね。 全20話。このファイルは11~20話まで。2012/12/08更新。 極楽座の怪人(11) 「そもそも我々がはるばるやって来たのは、吉澤さんが世界大戦の引き金になるのを防ぐためですが」 「アイツが急にオーストリアハンガリー帝国の皇位継承権を得るなんて、てんでリアリティに欠けた夢物語らしいの」 「それこそ天地がひっくり返る大革命で、大富豪が大貧民になってもあり得ない……」  舞台裏とステージ上で、それぞれに日本語訳が始まりますが。 「おーい、客ほったらかしかー♪」  フランスパンマンがフランス語で野次ります。 「恥ずかしいから隠れて密談しようたって無駄ですよ。僕がセキララに訳しますからねー♪」 「うるさいわね」  劉はプリプリと舞台へ出ました。 「こうなったら全部さらすわよ! スタッフ全員出てらっしゃい! とことん話し合おうじゃないの!」  裏方がゾロゾロと登場する光景はイレギュラーな見モノではあるらしく、観客は拍手で迎えます。 「照れるニャア」 「ど、どうも、僕がホン書きました」 「雅ちゃん、衿曲がってる」 「あ、ああ」 「いいからさっさと並べ」  桔梗介は自分の愛刀も床にぶっ刺しました。 「で、俺たちは何を笑われたんだ」 「欧州の君主制は血統重視で、養子縁組してでも家門を続かせる日本とは、世襲の定義が違うようなのです。血を引いていれば、どんなボンクラも血の濃い順に継承権を持っている。逆に、血を引いていなければ」 「いくら有力者をタラしこんでも、ポッと出の東洋人に出番はない……」 「思えば当然ですよ。王権の継承システムが頑として揺るがないからこそ、欧州では革命が起きたんでした」 「ねー、カッコ悪いよねー♪誇らしげに革命ネタを取り込んだだけに、一層ねー♪」 「しかも舞台上で間違いを指摘されて……」 「理性が自慢の鬼公安にとっては、人前でふんどし脱ぐより恥ずかしいんじゃないかなー♪」 「くそ、今フランス語で爆笑された……」  上機嫌の吉澤は、マントの裏からパンをちぎってはむしゃむしゃ食べています。 「フランスパン柄は本当のパンでしたか……」 「プロテクターも無しで真剣勝負をやるなんて、バカかサムライか、バカだけですよー♪」 「おい、ケータリング一人占めしたのお前か。全部マントにくっつけやがって」 「接着剤はレオ丸さん特製速乾パテですよ♪」 「食べても安心なオーガニックネ」 「パン飽きたからヨッシーにあげたのー。おじさん、中華か何か買ってきて」 「オーガニックパテでも食べてなさい。みんなちょっと黙って」  劉はこめかみをグリグリともみました。 「ああーつまりこのエスっ子は、くのいちとダベっただけで話の矛盾に気づいたくせに、樋口さんの屈辱フェイスを最大限引き出すために、飛び入りチャンバラまでしたってわけ? 前からヘンタイだヘンタイだ思っちゃいたけど、アンタの趣味にはほとほと」 「見損なわないでくださいよー。みんなを夢から覚ましてあげるって言ったでしょう。どこから話がひっくり返るか、分かってます?」 「待ってよ。ええと」 「何か頭ごちゃごちゃ。いっぺん寝るわー。ホテルでくどりんに夜這い、ホテルでくどりんに夜這い……」  脳機能を使いすぎたヨコ丸は、フランスパンのマントにくるまって寝てしまいました。 「堂々と夢に逃避したニャア」 「かしこいネ。じゃこ屋のジャック略してJAJAの奇妙な冒険は、全何巻続くか分からんヨ」 「この使節団自体、ジャックさんの脳内で生まれた夢みたいなものだったんですねえ」 「でも、世界中でトモダチ作ってきたあのじいさんが、欧州の王権システムなんて基本的なことを知らないはずがあるかしら……」  首をかしげる劉の隣で、桔梗介も宙をにらんでいます。 「ずっと頭のどこかで分かっていた……何かがおかしいと……」 「裏でもっと大きな仕掛けが動いてるはずよ……」 「あれ、何かめまいする……」  周りの風景が奇妙に揺れ始め、光がビカビカとまたたき、一同は思わず手で顔を覆いました……。 (12) 「面白いお話どしたわあ」  十和古局はゆったりとワインをすすりました。 「鳴り物入りで出発した仁科万博使節団に、そんな裏があったやなんて」  墨を流したような川面に、かがり火が燃えています。  ここは屋形船のオープンデッキ。  洋風の正餐がしつらえられた上座を占めるのは、陰のフィクサーじゃこ屋のジャックです。 「今ごろパリはひっちゃかめっちゃかじゃ。まとめを頼むぞい、ハルくん」 「はいっス……」  太鼓持ち時代そのままの命令調に、ハルはしぶしぶ従いました。 「あー、あのメンツなら公演は必ず大失敗、中には警察へしょっぴかれる者も出て、日本からの救済措置はゼロ、全員そのままヨーロッパへ足止め、つまりは体のいい島流し、という予定っス」  接待役のハルは、ワインを注いでもローテンションです。 「いややわ。現職の首相にお酌させて。はいご返杯」 「どもっス」 「うふふ、気がすすまんいうお顔どすなあ」 「俺は反対っス。ご隠居には今からでも考え直してもらいたいっス」 「あらまあ」 「素直にハラをぶちまける子じゃろ。わしゃそこが好きでのう~」  ご隠居がにったり笑うとかがり火が揺れ、ハルはぶるっと頭を振りました。 「俺はお飾りって分かってるっスけど、こんな風にみんなをだまして国外へ追放するなんて、あの」 「陰湿、じゃな。ふぉっふぉっふぉ」 「ああら、優しさどすやんか。言うたらアレどすけどあのお人ら、これからの日本にとってトラブルの元になるお方ばっかりどすえ」  十和古は指を折って数えます。 「ヘンタイの歯止めを忘れたラストショーグンはんに、民衆の憎悪を一身に集める公安はん、お騒がせ記事しか書かんジャーナリストはんに、何でも記憶してそれを誰にでも言うてしまうくのいちはん、オタクの財布からお金を吸い取るフィギュア師はん、違法建築しまくりの大工はん、節操なくタブーを超える官能作家はん、あ、これは弟はんどしたなあ。可愛い弟はんが刑法改正で実刑食らうとこなんて見たいことおへんやろ。ちょっと遠くへ自分探しの旅にでも出したぐらいに思たらどない?」 「そんなのおかしいっスよ。悪いことしたならしたでしょうがないっスけど、反論の機会も与えられないなんて」 「まだまだこの国は不安定じゃ。ある程度の独裁は必要悪じゃよ。ちょうど、八千菊政権がそうじゃったようにのう」 「はふん」  十和古がホロ酔い風情で笑います。 「三日天下で恥ずかしわあ。はなまる新党はんに蹴落とされてから、うちらすっかり落ちぶれて」 「何の。黒幕を捕まえにゃ話にならんのに、どんな弾劾も刑事訴追もことごとく振り切られた。わしゃすっかりあんたのファンになったんじゃよ~」 「光栄どすわあ。ぶぶ漬けいかがどす」  京おんなは目が笑っていません。  ハルは船べりでいじいじと膝を抱えました。 「だからって、同じように独裁の真似事を始めたんじゃ、何にもならないっスよ……」 「ハルくん、わしに盾ついたら……分かっとるじゃろのう」 「首相としてのモテ人生も強制終了、分かってるっス……」 「うち、そうは思いまへんえ」  十和古はしっとりと囁き、正座を崩しました。 「国のトップに必要なんはリーダーシップでも決断力でもあらへん、モテ属性や。あんたはんはそれを生まれながらに持ったはる」 「そ、そうっスか~、エヘヘ」  十和古がじりじりと体重を寄せてきます。 「太鼓持ちからここまでに出世しやはったんも、どっかのフィクサーのおかげと違う、あんた自身の手柄やわ」 「俺、ホメられると伸びるっ子ス~、鼻の下が」 「どうどす? お友だちをパリから呼び戻すお手伝い、うちがサポートするいうんは」  ほとんどのしかかられながら、ハルはちょっと考えました。 「でも、ご隠居が」 「ジャックはんに反対されても貫きたい正義があるんどっしゃろ?」 「は、はい」 「嬉しわあ。これからはうちと仲良うしてくれはる?」 「仲良うっスか~? へへ」 「お年寄りのお相手はそろそろしまいどす」 「わあ♪」  ごろんと押し倒されたハルは、船頭の足元に仰向けになりました。 「あれ、西洋人の船頭さんなんて珍しいっスね……」  言い終わらないうちに編笠を捨てたキースは流れるように銃を構え、耳と言わず皮膚と言わず五感のすべてに衝撃が走って、それはもちろん銃声でした。 「あ……、あ……、ご隠居……!」  じたばたと起き上がろうとしたハルは何度も十和古に引き倒され、どぶんと重い水音がしたあとも、しばらくはかがり火がめちゃくちゃに揺れていました。  人ばらいされた屋形船は静かに漂い、呆然とするハルをまっすぐ座らせて、十和古は闇の向こうを見渡します。 「橋げたに飛び移って……、もう姿が見えしまへん。さすがの将軍暗殺犯どすなあ」 「キースさん、もうヤバい仕事はしないって言ってたのに。あれ、よく知ってるっスね十和古さん……!」  事態がいっぺんにフラッシュバックしたハルはびっくりしたザリガニのように後ろへ飛び、十和古はうふふと笑いました。 「都落ちの間に色々調べましたんえ」 「あなあなあな、あなたは……!」 「キースはんが言わはるんは、難易度的にヤバくなければやる、いうことどっしゃろ。根っからのコントラクトキラーどすなあ。誰に雇われたやら知らんけど」 「え……」  ハルは船べりにひっついたまま、必死で頭をめぐらせました。 「じゃじゃ、十和古さんじゃないんっスか? つまりご隠居をそのう」  十和古は寒そうに自分の肩を抱きしめます。 「どっかで人の恨みを買わはったのやねえ。後ろ暗いとこの多いお人どしたから」 「ごっ、ご隠居はそんな人じゃ」 「何でも信じたらあかんえ。ジョン万次郎とマブダチやなんて嘘嘘。ジョンはんいうたら有名人やもの、各地で逸話を集めれば長年のツレみたいな顔も簡単どす。間違うて本人に会うてしもたかて、ハーワーユーのロングタイムノーシーで知り合いやったかなと思わせれば勝ち」 「そそ、そうなんスかー、怖いっスね」  脳味噌がぷしゅっと音を立てて処理能力を超え、ハルは無意識に「置いといて」のジェスチャーをして面倒を脇へ追いやりました。 「ご隠居……」  おそるおそる水面をのぞきこむと、十和古も身を乗り出します。 「うち、まともに見てしもたわあ。きれーに眉間を打ち抜かれはったジャックはんが、ゆーっくりのけぞって」 「うう……、うわーん! ご隠居ーー!」  ハルの叫びはバタバタと騒ぐ川風にかすれ、あたりは濃い闇に支配されるのでした。 (13)  一方、こちらは極楽座公演。  JAJAの奇妙な国際情勢分析は誤りだったとひとまず分かり、目の前の現実に懐疑的になってみようと頭を絞る一同の周囲で、確かにグラグラと世界が揺れています。 「んー、やっぱめまいする……」 「何かがおかしい、ずっとそう感じていた……」 「裏で大きな仕掛けが動いてるはずよ……」 「これほど大仕掛けの舞台が、不自然なほどスムーズに回った理由は……」  劉と桔梗介は、てんでに違う方向を見ています。 「技術助手が二人いるぞ」いるわよ」  それぞれが指さした方向に、ひとりずつ雅がいました。 「ま……!」 「雅ちゃん!?」 「上にもいるみたいー、ひとり、ふたり」  ヨコ丸の寝姿勢から見上げると、照明と吊り背景の操作係が逃げようとしています。 「照明と背景。それで視界が揺れたように感じたんですね」 「何だ何だ、そこら中に俺が……!」  一気に血の気の引いた雅がどうやら本物らしく、他のは表情が動きません。 「クレオさんが作ったヘッドパーツですよ!」 「工藤タイプって発注したのにジミーズのムサい方が出来ちゃったアレね。さあ、観念なさい」  フルフェイスの雅ヘッドを引き抜くと、中の人は噂のじゃこ屋のジャックです。 「すまんのう、バレたわい」 「ご隠居、本人と同じ場所にいないようあれほど注意したでしょう」  残りの雅も頭をはずし、こちらは鶴さん亀さんでした。 「天音さんにつきまとったりしてるから、一緒に舞台に引っ張りだされるんですよ」 「若い娘がかまってくれて嬉しかったんじゃー」 「どこにいようが何人いようが誰の注意もひかない絶好のかくれみのだったのに、台無しですよ、全く」 「俺だって傷つくぞ……」  ズタズタにされた雅の隣で、天音は真っ赤になっています。 「じゃあまさか、ロマンチックデートのときの雅ちゃんは……?」 「ふぉっふぉっ。マスク越しじゃからノーカウントじゃよー」 「おい、何やった」 「言えなーい!」 「お前さんも悪いぞい。んーとかあーとかだけで会話がもつんじゃから。普段からもうちょっと甘い言葉でもかけてやらんと」 「公演準備でクソ忙しい時に、んなことやってられっか」 「ごめんね雅ちゃん、私……」  天音はうるうるしながらどこまでもクローズアップします。 「近え近え近え」 「だって、本物かどうかしっかり確認しないと」 「うむうむ。月明かりでいきなりでは間違えもするわい」 「だからおい、何やった……」 「ねえ、童○イン○野郎のクソみたいな悩みは置いといて」  イライラも最高潮の一同は、容赦なく雅を押しのけました。 「早く説明してよ」 「そうだ」 「何がどうなってるニャ」 「教えてください」 「目的は何ネ」  もみくちゃにされ、ご隠居はあっぷあっぷしながら言いました。 「わし、暗殺されることにしたんじゃよー」 (14) 「何だと?」 「聞こえなかったー」 「周りがうるさいネ」  演舞ホールは低いどよめきに包まれています。 「アロー、通訳はどうなってるのかしらフランスパンマン?」 「変装の三人は誰だったんだコマンタレブー?」  本格的に観客を放置していたことに、ステージ上の面々もようやく気づきました。 「セキララに通訳するって約束はどうしたケツカセー?」 「忘れてました。びっくりしすぎて……」  自信たっぷりだったはずの吉澤は、金髪をかきむしっています。 「何よ、夢から覚ましてやるとか言っといて」 「僕はてっきり、陰のフィクサーがテキトーなことフイて使節団を召集して、邪魔者をまとめて追放したに違いないと思ったんですよ。まさか一緒に来ちゃってるなんて、もう何が何だか」 「うむ、半分は当たりじゃ」 「なぜ我々が追放されなければならないんです」 「だって、どうしようもないクズばかりだからですよ」  吉澤はビシバシと指さしました。 「緊縛カップルに、中華おネエに、バカ乳に、人形偏愛フリークに、猫の怨霊付きに、ファンタジー坊主に」 「エスっ子のコメント鋭利ネ」 「バカ乳ってどんなチチー」 「あれ? ひとり足りないな。最大のトラブルメーカーにして下等なゲスホモのゴミ」 「せめてラストショーグンぐらいプロフィールに入れたげなさい」  ステージを見回しても、お小姓チームごと弁天の姿がありません。 「そう言えば、村正がびよーんと立ったあたり以降静かネ」 「楽屋の荷物もなくなってるぞ」 「どしたんだろーべそっちょ。3Pチャンバラにあんなにコーフンしてたのに」 「そのコーフン状態のままうろつかれては、日本の恥なのですが……」 「ハア、ハア、ヤバい、ヤバいで」 「上さまぁ、待って~」  お小姓チームに荷物を持たせ、弁天は港を目指して走っていました。 「急ぐんや。キョーちゃんとの濡れ場がかなうまではと粘っとったが、もうアカン。ヨシくんは多分気づいてしもたで」 「上さま、村正もすり替え済みだったんですかぁ?」 「ああ。一番に売り飛ばしとる」  万博出品の工芸品は国宝級のお宝ばかりです。弁天は稽古の合間に抜け出しては展示品をすり替え、こっそり古売屋に売り飛ばしていたのでした。 「代わりに展示しといたのって、上さまのレッスン刀でしょう。通信教育の」 「あれだって結構ちゃんとした作りでしたよぉ」 「刃に研ぎをかけとらん模造刀や。ドSが殺す気の立ち会いで相手に傷ひとつ付かなんだら、嫌でも気づくで」 「……というわけで、村正がニセモノなら君たちが送り出された理由もニセモノ、ジャックさんは分かっててフイたんだと、僕は確信したんですよー」  吉澤はフランス語でも同じ内容を言い、劉はびよーんと立った村正にフランスパンをポコンと打ちつけました。 「ほんと。切れないわ」 「道理で、えらく乱暴に扱うと思ったニャ」 「くそ、釣られて自分のも床に刺してしまった」  桔梗介がそそくさと愛刀を抜き、工藤は深く頭を垂れています。 「さすがの殺気です、吉澤さま。バトル中は十分真剣を感じました」 「さ、次はいよいよ御大にしゃべってもらうわよ」  振り返った劉は、鶴さん亀さんの胸筋にぼいんと阻まれました。 「何よ、邪魔する気?」  ご隠居はこそこそ後ろに隠れています。長身ロシア人と元船奴隷の鶴亀コンビは、ボディガードとしてもなかなかの押し出しです。 「どうかご勘弁を」 「ご隠居がここにいると人に知れては、計画が」 「その計画を洗いざらいぶっちゃけろって言ってるの。これはウケるわよ~」  劉はワクワクと両手もみしぼりました。 「ここまで苦労したものを、グダグダのまま終わらせるもんですか。ショーマストゴーオンを唱えた本人はどっかへ消えちゃったけど、この舞台はアイツひとりのものじゃないわ。そうでしょ、総合演出?」 「劉さん……!」  真っ黒になるまで書き込まれた台本の表紙は「脚本・劉翠蓮 / 仁科冬成」の共同クレジットです。 「私たちのホンなんだから、私たちで最高のフィナーレにしてやりましょうよ。さあどうしてほしい、ジャックさん? 黒公安に忍者にどエスっ子、こっちには拷問のスペシャリストが揃ってるのよ。キリキリ白状しないと……」 「わ、分かった分かった! フィナーレが盛り上がればええんじゃろ!」 「どうしようっての」 「ヘッドパーツをこっちへくれるかの。さーお立ち合い!」  雅マスクをずぼんとかぶったご隠居は、ぴょいと真ん中へ飛び出ました。 「ステージと客席を隔てる壁は崩れ、舞台の魔法は消え去った。じゃがまだ最後の魔法が残っとる。はい注目ー、ここはパリではありません!」  タッタラーとポーズを決めたご隠居は、客席にお尻を向けています。つまり語っている相手は舞台上の面々です。 「ドッキリだーい成ー功ー! さあて街ごとフェイク? オープンセット? いやいやいくらわしでもそこまでせんわい。ホレお客さんに通訳せんか」  ご隠居はぽかんとしている吉澤を促します。 「二ヵ国語で言うてやってくれ、吉澤くん。ここはどこじゃな?」 「いや……、上海ですけど」 (15) 「しゃ……!」 「しゃしゃ……!」  上海はいわゆる「東洋のパリ」です。  中でもフランス租界は街並みもフランス風、道行く人は基本フランス語なのでした。 「だからって……」 「しゃんはい……」 「ええー、そこから分かってなかったんですか? 救いようのないクズだなあ」 「上海……」 「ニイハオ……」  サムライもくのいちもスタッフも、がくりと膝を付きました。 「道理で色々ヘンでした……」  ぐるぐると思い返せば、それぞれに心当たりがあります。 「あっという間に着きました……洋行は初めてで、こんなもんなのかなーと……」 「東シナ海をテキトーに周遊したんじゃよー」 「あっという間に日付の感覚がなくなったわ……船酔いしたら3日経ってたり、酒盛りしたら5日経ってたり……」 「スキを見てがばっと日めくりをめくってのー」 「街並みも西洋風にしか見えなかった……」 「運河から直接フランス租界に上陸したんじゃー」 「雅ちゃんもパリも、ニセモノだったなんて……」 「若い娘が魔窟に迷いこまんようデートコースには気をつかったぞいー」 「街に華人が多いとは思ったニャ……でも劉さんもそうニャし……」 「世界中どこにでもいるもんじゃー」 「中華料理屋も1ブロックに2~3軒あったヨ……世界中どこにでもチャイナタウンあるネーと……」  死屍累々のステージで、上手・下手に別れたご隠居と吉澤が息を合わせてお辞儀をすると、ぽつり、ぽつりと拍手が起こります。 「なんという実験的手法」 「何かがそれらしいというだけで、我々の理性はたやすくだまされる」 「人間理性への新しいアプローチだ」  喝采とともに、どんどん話がでかくなり。 「これは単一的リアリズムへの反語表現」 「まさにリアリティの多重露光」 「新時代にふさわしい演劇形態ですな」 「ブラボー極楽座!」 「ウケてます、劉さん!」 「信じられないわ」  鶴亀が緞帳のスイッチを入れ、しずしずと幕が下りる中、雅マスクのご隠居は右へ左へキッスを投げ、まだ腰が立たない面々は土下座して、極楽座・上海公演はめでたく終演とあいなりました。 「さーて、上海ガニでも食いながら打ち上げといこうかのー!」 (16)  ここは上海大飯店、貸し切りのバンケットルーム。  ぐるぐる回るターンテーブルには、フカヒレに酩酊海老に小籠包、ズラリと御馳走が並んでいます。  真ん中にデンと置かれた大皿には、人の顔ぐらいある巨大なゆでガニが山盛りです。 「陰のフィクサーなんぞやっとると、命の危険も多うなってのう。わしゃ殺られる前に殺ることにしたんじゃ。自分をー♪」 「……」 「……ぱきぱき」  じゃこ屋ジャックがようやくからくりを話し始めたのに、一同はカニの解体に夢中でした。 「ぱき……」 「……あ、上手に取れた……」 「……ちゅーちゅー」 「ナイトクルーズの屋形船をセッティングしての、上座のわしがバーンと撃たれての♪」 「撃たれるとは、弾着かスタンドインか」 「せっかくのむーびーきゃめらを使わん手があるかい。わしが頭を吹っ飛ばされる映像をフィギュアで撮っといたんじゃよー♪」 「……」  巨大ガニは身のほじりがいがありすぎて、ちゃんと話を聞いているのは工藤に殻をむいてもらってる桔梗介だけです。  自慢話を聞いてほしいご隠居は、せっせと老酒をお酌して回りました。 「ほれ、クレオちゃんに発注したじゃろ。じゃこ屋創業記念JAJAパーフェクトフィギュア、撃てばはじける脳漿入り」 「うえ」 「おじいちゃんやめてー、ちょうどカニ味噌行くとこだったのにー」 「残すならおいらがもらうニャ」 「いや食べるけどー」 「暗殺の決定的瞬間は特撮を使うとして、いつ本物と映像を入れ替える。どのタイミングでスクリーンを出せば」 「うっふっふ。スクリーンは最初から出しっぱじゃ♪会談まるまる、帆布に投影した映像のわしがおしゃべりするんじゃよー」  雅は小籠包のあつあつスープを噴きました。 「ふ、不可能だろ。事前に撮影したフィルムと、現場の流れが食い違ったらおしまいだぜ」 「しかもハルくんには何も言うとらん♪打ち合わせなしのリアクション一本勝負じゃ~」 「まあ、あれに芝居させるよりは素の反応を利用したほうが、劇的効果は上がるかもしれないわね」 「それそれ。会話はすべてこっちから振るのがミソでの」 「彼がどう答えるかなんて、三手先まで読めますもんねー♪」  吉澤は、ボウルの中でぴちぴち苦しむ酩酊海老を眺めてご機嫌です。 「ちょっと、そこのエスっ子」  劉はもう手酌で飲んでいます。 「アンタさあ。私たちがパリ万博の横断幕とか掲げて盛り上がってたのを、何だと思って聞いてたの」 「いや、大陸の向こうでやってる万博にオマージュを表明してんのかなーと」 「普通の会話でもパリパリ言ってたわよ。それは?」 「東洋のパリにテンション上がってんのかなーと」 「全く……大体アンタはこんなとこで何してたわけ。キスするわよ」 「せめて脈絡をください、くっ」  劉が酒瓶を蹴たてて襲いかかり、キス魔の惨劇を見慣れた一同は、ささっとお皿を避難させました。 「船旅のあいだ、されまくったニャア……」 「冷静な判断がつかなくなったのは、アレのせいもあるよな、樋口さん……」 「武士は言い訳せん……」 「ぷはっ」  巨体の下の吉澤は、息継ぎするのもやっとです。 「僕はただ自分探しの旅をっ……」 「嘘つきなさい」  吉澤がじたばたすると、ターンテーブルが回ります。 「上海で日系の売人が暗躍してるらしいことは、裏社会でも話題になってたわ。アンタ、イケナイ界隈でイケナイ薬をさばいてたわね?」 「マダムたちにささやかな夢を提供してただけですよー。僕のアンパンをお食べ?」 「アンパン屋バロン・ヨシザワの名は奥さまネットワークの口コミで広まり始めとってのう。大陸で薬物関係は重罪じゃ。いっぺん注意してやらねばと思っとったんじゃよ」 「悪いコね。ごめんなさいって言ってごらん」 「言うもんか。エスっ子の名にかけて……!」 「わー、すご……」 「子供が見るもんじゃねえぞ」  見たい人も見たくない人もいて、キス魔とその餌食を乗せたターンテーブルは右へ左へ回されるのでした。  ほぐしてもらったカニの身をもぐもぐやりながら、桔梗介はマイペースです。 「殺し屋は。いつ寝返った」 「キースくんか。初めからこっちサイドじゃー♪」  ご隠居はカニの爪をダブルピースにして笑いました。 「贈答用ぶぶ漬けの詰め合わせと一緒にわしの暗殺依頼が来たそうで、親切に教えてくれたんじゃ。ほら、もう仕事はやっとらんから気軽にリークしてくれて」 「ぶぶ漬け……」 「忙しゅうなったのはそれからじゃ。樋口さんに密命を吹き込んで、樋口ホイホイで弁天くんを捕らえ、弁天くんが御用職人のクレオちゃんをスカウト、工藤さんにはもれなくヨーコちゃんが付いて来て、劉さんのツテから大福親方を技術チーフに、冬成くんを使節団長にすえてのう」 「……普通にみんなを旅行に誘う、とかでよかった違うカ」 「そうよー、おじいちゃん。私たちトモダチでしょー。おごってもらったことしかないけど」 「すまんのう。フィクサー生活が長いとすっかり陰謀体質になってな」 「パリ偽装は何のためよ? ドッキリが趣味だからじゃないでしょうね」 「テンション上がってもらうためじゃよー。一大国家イベントって感じがするじゃろ♪」 「気合い入りました。万博使節団長なんて大役」 「地球をぐるっと半周するんだもん。天音も連れてってって泣いて頼んじゃった」 「斗貴とも覚悟の別れをしてきた。どこの馬の骨とも知れんしょーもない清十郎と、しょーがなく結婚させてきたんだぞ。どうしてくれる」 「結果めでたくてよかったじゃないの。それより私はまだ納得してないの」  回り舞台で片膝を立てた劉は、ご隠居の胸ぐらをつかんで引き寄せました。 「ジャーナリストをひっかけた罪は重いわよ。三途の川を越えるほど濃厚なやつをお見舞いされたくなかったら、ディテールまで細かくしゃべりなさい」 「はわわ、えー使節団とともにわしが出国したあとは、はなまる屋のウェイトレスたちに噂を流してもらうんじゃ。万博使節団には妙な裏があるらしいのよハルくぅん……とな」 「兄ちゃんに?」 「身内を追放されたと聞かされて、ハルくんは当然怒るじゃろう。わしとハルくんとの軋轢を嗅ぎつけて、ある人物が接触してくる」 「ぶぶ漬けの人ね」 「使節団の秘密を明かすっちゅう口実で屋形船に誘い出したら、いよいよわしの登場じゃ。すでに撮影済みのフィルムじゃがの。暗いデッキに座ったわしがこう、ダークな魅力たっぷりに……」  じゃこ屋ジャックの手柄話が佳境に入ったそのとき。 「わあ、停電?」  バンケットルームの豪華なシャンデリアが激しく明滅しています。 「ぺー♪」 「何、何の音」  とぼけたような高音は、リコーダーの音です。 「ぺー♪」 「ぺぽぽぴぷー」 「ぷぴぽぽぺー」  メロディーラインは半音ずつ下降してはまた上がる、いかにもナニカ座の怪人っぽい不穏なテーマ曲です。 「これ、お小姓さんたちのリコーダー隊よ。縦笛系は得意なんだって」 「わ、若い娘がド下ネタ言ってんじゃねえ」 「えー、雅ちゃん何が?」 「知るか」  雅がアタフタしているうちに、パアンと照明が落とされました。 「ふっふっふ……、話はよう分かったで……」 (17) 「なるほどなあ、そういうわけやったんか……」  低く呟く関西弁はまぎれもない極楽座座長で、ヨコ丸はきょろきょろと見回しました。 「べそっちょ、どこ行ってたのー」 「国宝盗んだんがバレへんうちにズラかったんやー」 「へー。じゃあ何で戻ってきたのー」 「港で船に乗ろうとしたら、手持ちの紙幣がどれも通用せんかったんやー」  ごちゃごちゃと会話はできますが、照明の落ちたバンケットルームに弁天の姿は見えません。 「ぺぺぴぽぱー♪」 「くそ、リコーダーがうるさくて、位置が特定できんぞ……」  桔梗介はサムライ衣装を着替えておらず、腰の刀を探りました。 「おい、しゃべり続けろ」 「紙幣って、お宝を売った代金ー?」 「それが、古売屋にニセ札つかまされたんや。見かけはちゃんとしたフラン紙幣やったが、よう見たら肖像がルパン三世で」 「海外じゃ気をつけないとー」 「しかも船便の運賃表がぜんぶ【上海発~】で、軽くパニックや。何で上海やねーんてツッコミながら上海大飯店に駆け込んだら、【仁科使節団ご一行さま】で宴会入っとるし、何やねん全く」 「いいから電気つけてー」 「どうしました」  パチンと壁のスイッチを入れたのは工藤です。  明るくなった室内には、愚痴る弁天もリコーダー隊も見あたりません。 「何だったのかしら……」 「あれ、くどりんどうしてエプロンしてるのー」 「厨房を借りてカニを甘酢炒めにしていました。ゆでガニだけでは飽きるでしょう」  ワゴンを押してやってくる工藤に、宴卓が凍り付きます。 「じゃ、そこでずっとカニの殻むいてたのは一体……?」 「ふっふっふ」 「ぺぽぱぴぷー♪」  使っていないテーブルの下から、リコーダー隊が飛び出します。  仕込み笛を抜き払うと、中身は立派な短刀でした。 「べこ、ぼこ、ごん!」  工藤の投げた銀のフタが弧を描いて飛び、ほかほか湯気をたてながらお小姓たちをはじき飛ばします。桔梗介は大きく刀を振り抜きましたが、しとめるには至りません。 「こっわ、真剣こっわ」  のけぞった工藤ヘッドがぱっかり割れると、現れたのはナニワのラストショーグンでした。 「い、いつからいたんだ!」 「何をしてたの!」 「もちろんキョーちゃんに一服盛とったんやー♪」  だらりと脱力した桔梗介を姫だっこした弁天は、さっそうとバルコニーへ駆け出します。 「若!」 「ダメだ、樋口さんアイツが手渡した皿からばくばくカニ食ってた!」 「もう、面倒がって自分で殻をむかないから!」  工藤は呆然、劉は泥酔、吉澤はキスで腰が抜けていて、誰も応戦できないまま、桔梗介をラチった極楽座の怪人は、ひょーほほほと笑いながら遠ざかっていきました……。  工藤はごしごしと目をこすりました。 「これは、夢でしょうか」 「まだ言ってるのかよ、急いで追うぜ!」  バルコニーの柵をまたいだ雅は、眼下の夜景にクラッとして、地道に玄関から出ることにします。 「しかし雅さん、あまりに現実ばなれしたものを見ませんでしたか」 「ったってよお、今日はもう何が夢だか現実だか」  一同の脳裏に焼き付いたラストショットの桔梗介は、弁天の腕の中でこちらにダブルピースを出しています。 「カニ爪残しといてって意味かニャ」 「みんな見たのー? 集団幻覚?」 「私だけかと思ってたわ。酔っぱらってるし」 「私たちも一服盛られたカ? ユキ?」 「んー、売人だけど自分じゃやらないから分からない」 「いえ、夢でも幻覚でもありません」  きっぱりと言ったのは冬成です。 「どういうことじゃ、冬成くん」 「ダブルピースができるということは両手ともに機能正常、薬物は四肢の末端まで回っていないということです。つまり、樋口さんは逃げられなくて捕まったのではなく」 「わざと捕まった……」 「ひょーほほほ! 爽快やー!」  上海の裏路地を駆け抜ける弁天は、頭に巨大ガニの殻をずっぽりかぶっています。  横抱きにされた桔梗介が見上げると、空には星がまたたき、カニ星雲が千鳥足で天の川をざぶざぶ渡っていきました。 「……かなり幻覚が来てるな」  カニの身を黒酢ダレにつけるフリをしては老酒で洗っていた桔梗介でしたが、微量の薬物は摂取してしまったようで、シオマネキがしゃんしゃん爪を振る花道を抜けると、ロブスター型の小舟が待っています。 「甲殻類しばり……」 「ごめんやで。こんなショボい舟しか調達できんかってん」  弁天がハフーと首を振り、カニマスクから左右に突き出たカニ脚がブラブラ揺れました。 「キョーちゃんとの逃避行なら、もっとヒラヒラロマンチックな天蓋付きゴンドラがよかったなあ」 「具体例を出すな……」  脳内ビジョンがすぐに反応し、幻覚中の桔梗介はヒラヒラレースの天蓋の下にいます。 「正規の乗船は諦めて、密航や。小姓らが船員を酒盛りに誘っとるあいだに、もぐり込むで」  カニ弁天が腕まくりして漕ぎ出すと。 「いざ、インド航路でマハラジャ気分や~♪」  天蓋ベッドが、ドレープたっぷりのハーレム仕様に変わります。 「愛と情熱の喜望峰回りで~♪」  アフリカンミュージックがどんどこ鳴り。 「ついに憧れのヨーロッパへ♪パリは二人のために~」 「それが、お前の望みか」  ロココ調のソファーに横たわる桔梗介はもちろん弁天には見えていませんが、もっとすごいことを妄想中の弁天はごくりと生唾を飲みました。 「そ、そうや。パリくんだり、やない、上海くんだりまでやって来たんも、キョーちゃんとやりたいことリストのうちのひとつでも叶えたいと思たからやで」 「そうか」  マスクの内側でハフハフしながら弁天が身をかがめます。 「ワシの動機は愛だけや。それをあのじじいにええように利用されてん。十和古やんに手紙出してチクッたろかな。あいつホンマは生きとるでーって」  桔梗介がゆらりと片手を伸ばします。 「ではお前、じゃこ屋の計画には一切噛んでいないのだな」 「噛むかいな。ワシが歯形付けたいんはキョーちゃんだけ、でででで」  カニマスクは果たしてカパッと開くのかどうかつい試したところがそれも桔梗介の幻覚で、普通に鼻フックをお見舞いされた弁天でした。 「け、結構チカラあるやんか。ヤク切れてきたかな。脱力してくれてたほうがヤリやすいねんけど」 「よかろう。お前のヘンタイを見込んで頼みがある」 「ホ、ホンマか。よう分からんけど嬉しいでキョーちゃん……!」 「ほれ、お望みのもんや」  ぶすっとした弁天が麻袋を投げ出すと、転がり出たのはじゃこ屋のジャックでした。 「たた、年寄りを袋詰めにするなんて真面目に危険じゃぞい~」 「キョーちゃんが老け専やったなんて……ワシのあふれる精力の行き場はどうなるねん」  ぶつぶつ言いながらも弁天は上海大飯店に取って返し、ご隠居をさらってきたのでした。  まだまっすぐ歩けない桔梗介は、港の空き倉庫で大人しく待ち、ヤクが抜けるまでに弁天が戻れたら好きなことをさせてやるという条件で、電光石火の仕事を終えた上さまです。 「ほ、ほなワシ準備にかかるから。じじいとの用件済ませといてや」 「ああ」 「薔薇の花びらが山ほど要るねん、あと細筆!」  スロットル全開の弁天は、ばびゅーんと見えなくなりました。 「どういうアイテムじゃろか」 「知らんでいい」 「鶴亀があっという間にのされたわい。惜しい人材じゃのう、あのヘンタイさえなければ」 「ヘンタイも使いようだ」  薔薇のエキスでボディペインティングされるビジョンをふり払いながら、桔梗介は身を起こしました。 「あんたとは、サシで話がしたくてな」 (18) 「おや、さっきしゃべった分で大方しまいじゃよ」 「ネタは割れている。白状しろ」 「おー鬼公安じゃ、怖い怖い」  ご隠居がどう茶化そうと、どっぷりラリっている桔梗介には、ぐんぐん伸びるピノキオの鼻が見えます。 「見ているものが全くの錯覚かも知れないことは、今度のことで身に沁みた。だが錯覚にはそれなりの理由がある」 「頑固じゃのう。ドッキリのあとはたいてい人間不信になるもんじゃて」 「こっちのドッキリじゃない。屋形船の方だ」 「んー?」 「ひとつの映像で二人を同時にだますなど、不可能だと言っている」 「ほお?」 「それっぽく撮影された映像を、暗がりの中で投影するとしよう。一人の目線に合わせてスクリーンを設置すれば、もう一人の見た目には必ず角度がついてしまう。十和古に位置を合わせたら、仁科までだますというのは無理な相談だ。奴は阿呆だが、目はいい」 「ハルくんはあれで演技派でのう。実はうっすら分かってて芝居を」 「いい加減にしろ。十和古がグルなんだ」 「……」 「あんたがひっかけたのは、仁科親子だ」 「降参じゃ♪」  と、木彫りのご隠居がカチャンとお辞儀したところで視界がぐぐっと拡大すると、ピノキオ人形の糸を操っている人がいて、そっちが生身のご隠居でした。 「幻覚うざい……」  セルアニメ風に踊るコオロギやチョウチョに囲まれながら、ご隠居はにこにこ語り始めるのでした。 「いかにも、仁科パパとは始めの頃こそ共闘したが、だんだんソリが合わんようになってのう。なんせ、仁科酒造には将軍暗殺の実績があるじゃろ。賭場を救われた街道博徒らを筆頭に、ヤクザ関係からの支持がハンパのうて」 「じゃ、仁科の長男があっさり首相になれたのも」 「黒い交際のたまものじゃ」  ご隠居はやれやれと懐を探り、老酒の瓶をドンと置きました。 「こっちも恩があるから従うが、傘下のように扱われるのは性に合わんでの。そんなとき、奥さまネットワークからバロン・ヨシザワ情報を拾ってきたのが十和古ちゃんじゃ」 「吉澤の動向は公安もつかんでいないネタだった。負け組の十和古がどうやって」 「奥さまの奥は大奥の奥じゃ。元大奥女中は国内外のセレブに嫁いどるから、内うちの噂話にもアクセスしやすいんじゃよー」 「で、かつてのライバルとあっさり手を組んだってわけか」  桔梗介が頭を抱えると。 「京おんなはフレキシブルどすのんえ♪」  キャハっと顔を出したのは十和古です。  桔梗介は、老酒の瓶から飛び出したミニサイズの十和古を目で追いました。 「仁科の長男を鉄壁の目撃証人に仕立て、じゃこ屋死亡説をでっちあげ……、目的は何だ。身辺のリセットか? いや……」 「樋口さん、誰としゃべっとるんかの?」 「どすえ♪どすえ♪」  ちっちゃい十和古はどんどん増えて、あぐらをかいたご隠居の周りをカニ歩きで行進します。 「次男がこちらの手中、立派な人質だ。脅迫すれば仁科はどんな要求でも飲むだろう。金か、地位か。狙いは日本国丸ごとか」 「何か視線が合わんのじゃけど……続けるがの」  以下、しゃべっているのはご隠居ですが、桔梗介には京都人のもってまわった思考回路を経由して伝わるのでした。 「人質やなんて、人聞き悪いわあ。保険どす。可愛い息子にハクを付けたいお父はんは、第一級のお宝を持たせてくれはるやろ」 「パリ万博参加を吹聴したのはそのためか。いや違う。こうだ。誘拐犯から要求が来て、仁科家がどれほど手を尽くしても、ヨーロッパで使節団の消息はつかめない」 「行ってへんのどすからなあ♪」  カニ十和古はブイサインのハサミを上げ、一斉にキャキャキャと笑います。 「冬成はんは、まさか自分が人質やとは夢にも思てはらしまへん。こうしてサシでの席を設けてくれはって、樋口はんも優しいとこあるねえ」 「いい加減うんざりしただけだ。聴衆が多いとホラを聞かされるばかりだからな」 「冬成はんには内緒にしたげてほしいのん。人質に人質と気づかれたら最後、人質らしくふんじばっておかんとあかんやろ。可哀想どす」 「やっぱり人質じゃないか」 「ま、そうどす」 「俺が協力するとでも? じゃこ屋を斬って死亡説を本当にすれば、話は終わる。俺は早いとこ帰国したいんだ」  そう言って刀をつかんだ桔梗介の利き手を、何かがパチッとはさみます。 「はっ、サソリ……」 「そー言うたら樋口はんは、国に大事な人を残していやはったねえ」  桔梗介が眉をひくつかせ、刀の柄に乗っかったサソリ十和古は、毒尾を揺らしてみせました。 「大福親方のように、家族ぐるみでご招待するべきどしたなあ。うっかりうっかり」 「……斗貴ならあいつが守る。どんな刺客を雇ったか知らんが」 「そういうのんは嫌いどす。ジャックはんに何かあれば、はなまる屋の姉はんたちが大挙して清十郎はんに群がる手はずどすのん。女のトラブル山盛りで新婚家庭は崩壊、斗貴ちゃんは泣いて暮らすことになるやろなあ……」 「…………!」  思い切った桔梗介は、えいとサソリの尾をつかみ、十和古だって一歩も退く気はありません。 「八千菊政権が崩壊したときは、ようもあっさり見捨ててくれましたな」 「そっちが勝手に失脚したんだ。独裁者め」 「公安は独裁者のイヌどっしゃろ。政権をおびやかす輩は問答無用でツブさんかいな。サムライの忠義はどこへなくさはったん」 「サムライの世は終わった。今の俺は公僕だ」 「しゃあしゃあと。工藤はんとの忠義ごっこは続けてるくせに」 「……公安の悪評を流しまくってたのはお前か」  そのとき、倉庫の扉がごごごと開いて。 「お待たせキョーちゃん!」  山のような薔薇を背負って、弁天が戻って来ました。  真紅の花びらがびゅーっと吹き込みます。 「キャーー」  花びらにまかれたサソリの十和古は、真っ赤なザリガニになってからバラバラになって散り、ご隠居がホウキとチリトリで片づけました。 「早かったのう」 「ちょびっと手間取ったわ。街じゅうの花屋に空き巣に入っとって」  ほっぺも薔薇色に染めた弁天は、ハアハア息をしながら花束を下ろしています。 「キョーちゃんたらまだ床に寝そべって、痺れが切れてないんやろ。賭けはワシの勝ちや。武士とホモに二言なし、ここまできてドタキャンなんてないやろな?」 「……ああ。さっさと済ませろ」 「わしゃはずそうかの。酒でも飲んで景気をつけることじゃ」  気の毒そうに言ったご隠居は酒瓶を残して立ち、瓶に手を伸ばした桔梗介は、スカッと空をつかみました。 「くそ」 「あのあのキョーちゃん、ワシが飲ましたろか」 「頼む」 「ダダダイレクトに?」 「何でもいい」  弁天はひと口ごぶりとあおり、震えながら膝をつきました。 「んーー……」 (19) 「んっふーー」  小鼻をふくらませて近づくと、桔梗介もすっかりその気のポジションです。が、 「ぐふ」  ちょうど半身を起こした桔梗介の膝がみぞおちに入ってしまい、弁天はごくっと飲み込みました。 「あかん飲んでもた。やり直し」  再び酒を含むと、誘わんばかりに腕を回した桔梗介が、今度は束ねたロン毛を引っ張ります。 「ぐふ、飲んでもた」  またやり直し。 「ぐふ、飲んでもた」  またやり直し。  しているうちに弁天は、瓶の中身をひとりで飲んでおりまして。 「な、何やワシ、あちこちピリピリしてきたでー」 「じゃろうな」  ご隠居がひょいと顔を出します。 「樋口さんがカニを洗うとった酒じゃ。お前さんの盛ったクスリがどっさりじゃよ。もしものために持って来といてよかったのう。わしエライ~」 「道理で、瓶がカニ臭かった」 「んきゅう」  どたりと倒れた弁天は、手足を上にしてひくひくしながら、ご隠居と桔梗介を見上げました。 「ちなみに日本パビリオンのお宝は、わしがいただいたんじゃよー」 「そうなのか? 本物はどこに」 「海外コレクターに、ええ値で買うてもろうたわい」 「そんなでかい取引を、仁科家の目を盗んで? 一体いつ」 「東シナ海を周遊したと言うたじゃろ。お前さんらが船酔いしとるあいだに、船内で即売オークションを開催しとったんじゃー♪」 「……もう言い飽きたが、道理でな。同乗客は皆、競りに参加するコレクターだったか。じゃあ上海に着いたときには」 「すっかりイミテーションに入れ替え済みじゃ♪古売屋に行った弁天くんは、オミヤゲ品を売りつけに来た迷惑もんと思われたんじゃろ」 「こいつは存在自体が迷惑だ」  なんて言われているとも知らず、夢の中にいる弁天は、桔梗介の腹筋に赤い染料で、坊主が上手に屏風にポーズする絵を描きましたとさ。  めでたしめでたし。 「と、いうわけで」 「何が、というわけですか」  ヤキモキしながら上海大飯店で待機していた工藤は、全然納得できません。  桔梗介は痺れの残った腕をさすりつつ、棒読みで続けました。 「諸君らには、じゃこ屋ジャックさんの人生リセットを全力でサポートしてもらう。お年寄りがお困りなんだ。力を貸すのが当然だろう」 「嘘くさいニャア」 「ジャックさんはこのまま身元不詳のいちスタッフとして潜伏、我々は彼の隠れ蓑として、舞台公演のドサ回りを続ける」 「何でまた」 「大衆演劇はいい金になるそうじゃないか。ウケれば現金のおひねりは飛ぶし、設備はなくともアイテムが正しければ演劇の魔法が働くし」 「あー、べそっちょの受け売り」 「弁天さんと何かあったのかなー♪何かを受けたり売ったりするような?」 「……お前にもしてやろうか。打ったり撃ったり」  そろそろキレそうな桔梗介に代わって、ご隠居が低姿勢に出ます。 「頼むわい、わしゃもうスッカラカンなんじゃー。国宝を山ほど売ってもうけた金も、打ち上げで使い切ってしもうてのう」 「え!」  バンケットルームを見回せば、嵐のように飲み食いしたあとの祭りです。 「か、帰りの旅費ぐらいあるんでしょ」 「いやー、大飯店ってめし屋のことかと思うたら、ホテルのことなんじゃってのう。わしゃ知らずに貸し切りじゃーと言うてしもうて、ホテル側も律儀に一棟まるまる貸し切ってくれて」  おそるおそる伝票をめくった工藤は、「ヒッ」と言ってよろめきました。 「て、天文学的なゼロの数です……」 「たっぷりフランスまでの往復分あった使節団資金を全額つっこんで、やっと間に合うたんじゃー」 「ち、父に連絡しましょう、追加の旅費ぐらい送金してもらえます」 「ナイス、冬成!」 「頼れるニャ!」 「あー、ほれ樋口さん。ふ♪」 「おじいちゃん、ふ♪でダブルピース出すのは何でー」 「カニ臭い酒の恩を忘れるなっちゅー意味じゃよ。ふ♪」 「……」  桔梗介は、冬成の前に立ちはだかりました。 「お前、困ればそうやって父親に泣きつくのか」 「え」 「内実はどうあれ、お前はこの一大国家プロジェクトの全権を任されて来たはずだろう」 「でも、だって……」 「国宝をかすめ取られたうえ、資金管理にも不手際があったとすれば、それは使節団長であるお前の責任じゃないのか」  冬成はハッと姿勢を正します。 「樋口さん、僕……!」 「諦めたら、そこで試合終了だ」 「僕、国宝と同額を稼ぐまで家には戻りません!」 「ふ」  桔梗介とご隠居がダブルピースを交わし、使命感みなぎる冬成は、さっそくネタ帳をめくりました。 「何を上演しますか? 今日はたまたまウケましたけど、ドッキリはもう使えませんよ」 「わしに新作のアイデアがあるでの。魔術トリックとミステリー渦巻く冒険活劇じゃ。クレオちゃん製の精巧な人面マスクが不可欠なんじゃが……」 「上演グッズの権利関係くれるなら、考えてもいいネ」 「私もヒマだから付き合うわー。楽屋はくどりんと相部屋ね」 「天音もいいでーす♪家族三人一緒なら、どこにいたってスイートホーム」 「そうだニャア」 「勝手に俺をカウントすんじゃねえ」 「あんたたち、のんきに賛同しすぎよ」  劉はぎりりと歯ぎしりしますが、ここで食らいついてこそジャーナリストです。 「裏に絶対何かある……必ず真相を探り出すわ」 「劉さんが参加なら僕もいいですよー♪」 「よし」  工藤の返事は待たず、桔梗介はドンとテーブルを叩きました。 「仁科万博使節団の活動は本日をもって終了、ここに新団体の旗揚げを宣言する。団体名は……」 「劇団はなまるじゃー♪」 (20)  そして、話は日本に戻ります。 「次男はんは預かりましたえ」との怪文書を受け取った仁科当主は、一も二もなく要求に従い、暴力団お断りヤクザ一掃キャンペーンを遂行、私財を投げうって日本全国のローカルマフィアを叩きつぶしていきました。  暗黒街べったり路線から一転、その道の仁義を裏切ったことになる仁科パパは、報復が怖すぎるためそのまま実業界から退きます。  じゃこ屋ジャックの墓を建て、小さな寺の住職となり、「何か釈然とせんなー」と坊主頭をひねりつつ、謎の凶弾に倒れた盟友の菩提を弔いながら、定期的に冬成の生存報告を寄こす伝書鳩ロボを待ち待ち暮らしていると、黒い交際による非合法パワーでのみ議席を保っていたはなまる新党は選挙でボロ負けに負け、ハルはあっさり無職となりました。 「そうだ、京都へ行くっス……」  どう考えても十和古が怪しいとようやく気づいたハルは、とにかく京都へ乗り込みました。 「あの人、前首相のハルさん違う?」 「姉さん声かけて来とおくれやす」 「いやや恥ずかしー」  舞妓はんのキャピキャピ声に癒されながら、京の五条の橋の上にさしかかると、誰かがポンと肩を叩きます。 「あんた」 「ん、サインっスねー」 「……そいつは俺の名刺だ」  条件反射でサインした紙片をよく見ると、「ハイパーアイドルクリエイター 源本 義経」とあります。住所は「京都五条橋上ル」。 「あんた、なかなかのモテ属性だな。今そういう人間を探してるんだ。芸能界に興味はないか」 「エヘ、スカウトっスかー♪」  ハルは一瞬浮かれましたが、いーやと首を振りました。 「俺も一度は天下を取った男っス。今さらちっちゃい事務所で下積みなんてカッコ悪いことできないっスよ」 「うちはまだ新しいが、資本はでかいぞ。社長はジョニー・ザ・ミリオンってやり手の人で」 「へー、カッコイイっスね。ガイジンさん?」 「いや。色々あって前名はジョン万次ろ……、まあいい。新会社ジョニーズ・エンターテインメントの立ち上げに当たって、俺が企画の全プロデュースを任された。あんたほどの逸材なら下積みなし、いきなり主役デビューでいけるだろう」 「主役って、映画? ドラマ?」 「舞台だ。大陸で大当たりを取ったシルク(丸)・ド・フルール(花)とかいう劇団が来日する。新感覚のトリックミステリー冒険活劇で、怪盗を追う探偵の話だそうだ」 「わ~面白そう、犯人はお前だーってやってみたいっス♪」 「俺のカンだがこいつはイケるぞ。全国の興行権をヤクザが仕切ってた頃は、地方興行と言や、清水の次郎長か極妻シリーズしか上演許可が下りなかった。ヤクザが鳴りを潜めた今こそ、日本の演劇シーンの変革の時だ」  義経は橋の欄干を叩いて熱弁をふるいます。 「とにかくケレン味たっぷりの娯楽作なんだ。ナニワの大怪盗、将軍二十面相は徳川のラストショーグンがまんまモデルだ。探偵との対決シーンでは、精巧な人面マスクをかぶった役者がズラリと並んでどれが本物か分からない」 「そこで探偵が、犯人はお前だーっと」 「いいや。本物はワシやーってもうひとり乱入するんだ」 「くー、裏切るっス~」 「サプライズ演出も突飛で、将軍役のひとりは、次の公演先を知らされないらしい。自力で劇団の行方を探し当ててはお小姓とともに乱入して、そこからはマジの場外乱闘、これが寸止めなしのフルコンタクト・ファイトで」 「ハチャメチャっス~」 「真剣を使うパフォーマンスまであるってのは、ハナシ半分に聞いた方がいいだろうな。ジョニーさんは有名人だから、マブダチみたいな顔で出資を持ちかけて来る輩も多いんだ。ハーワーユーどすえーって声をかけてきたのは女だそうだが」 「へえ~」  ハルは十和古のことなどきれいに忘れ、義経のあとをホイホイついて行くのでした。  月イチの伝書鳩が冬成の帰国予定を知らせるのも、そう先のことではないでしょう。  めでたしめでたし。 ---- ~どうでもいい取りこぼしネタ~  上海大飯店の伝票は、鶴亀がすり替えたニセモノ。お金はご隠居がしっかり隠していると思います♪ お付き合いありがとうございました!